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富山県のイメージ
「富山」というと皆さんは
どのようなイメージを持たれているのでしょうか?
私が約20年前、東京に住んでいたとき、
出身が「富山県」というと
「富山ってどこにあるんだっけ?石川のあたり?」
「薬屋さんが良くきたよ。」「マス寿司おいしいよね。」
そんなことくらいしか感想が出てきませんでした。
最近では観光PR効果で薬以外にも
黒部ダム・立山アルペンルートなどの観光地が知られるようになりました。
私の住む富山市は、立山連峰とホタルイカや白エビ、ブリ、蜃気楼で有名な富山湾に囲まれるように存在しています。
富山県の真面目な人柄
高い山々から富山湾に向かって流れる黒部川、神通川などの
急流河川を利用した電源開発が盛んに行われたのが明治時代。
電力を多く使う化学や電炉、紡績やパルプなどの業種が
富山に工場を設けて生産を行った為、大正~昭和時代は日本海側で随一の工業立県でした。
主たる業種は変わりましたが、今でも県民一人当たり総生産額は全国6位(平成13年)という産業県です。
農業水田率は95.9%と全国1位、漁業は大型定置網漁業生産全国2位で産業バランスのとれた県なのです。
(富山県には「出稼ぎ」という言葉はありません。)
他には、共稼ぎ率全国3位、平均貯蓄率が全国1位。持ち家率1位・・・地元で夫婦共働きして、コツコツ貯金をして、立派な大きな家を建てる・・・これが富山県民の姿です。
ちなみに、お稽古ごとや娯楽の支出率は全国第45位だそうです。富山県人の私が言うのもなんですが、本当に真面目な県民性なのです。
富山くさいやつ
10年程前、私が県外のお客様のところに営業に伺ったときの話です。
「欄間を2割ほど値引きしてくれ」 お客様に言われました。
その欄間にどれだけの手間がかかり、価値のあるものかを私は知っていましたので、値引きに応じませんでした。
その時、そのお客様から「富山くさいやつや」と言われました。私は初めての言葉に戸惑いました。
家に帰り妻にそのことを話すと
「融通がきかない、頑固な人という意味でしょ。」
福島県出身の妻は笑いながら話してくれました。
「富山くさいやつ ということは・・・
富山県人は私以外の人もそういう傾向にあるがか?」 と、妻は笑いながらうなづいていました。
そのとき、まだ若かった私は
「融通のきかない頑固な人間」という言葉に対して
マイナスのイメージを持つようになりました。
傾いた時計
4年前、父(会長)が末期ガンで入院したときのことです。
余命1年という宣告を医師からされたにもかかわらず、父は
「最近の病院医療はすごい進んでいるぞ。今日はこんな風に治療された。」
「こんな機械を見た。我々も現状に甘んじていてはいかん。」
こんな風に毎日見舞いに来る私に病院であったことを、
(本人がその日学んだことを)生き生きと話しかけてくるのです。
私は不思議でした。
自ら死を悟りながら、前向きに生き続けることがなぜできるのか?今日学んだことが、一体あなたの何に役立つのか?
心の中で父に問いかけ続けました。
亡くなる7日ほど前のことです。
自宅で最後の時を過ごしたいという父が病院から帰ってきました。体が衰弱して起き上がれなくなった父が小声で私に話しかけてきました。
聞き取れなかった私は父に耳を近づけると
「時計・・傾いとるぞ。直せ。」 というのです。
父の目線の先を見ると正面の壁に掛かった
丸い時計がほんの少しだけ(5度ほど)
斜めに傾いているのです。これを直せというのです。
私は絶句しました。
人は生きてきたように死ぬといいます。
「組子」という水平・垂直の(小さな誤差を許さない)
職人世界で生きてきた父は、
目の前の時計の小さな傾きが許せなかったのです。
何という頑固さ、何と融通のきかない人なのか。
全身の力を振り絞り、最後の瞬間までその年老いた職人は私に大切なことを教えてくれました。
「MADE IN 富山」の意味
「おたくの商品は中国製かい?」
お客様から聞かれることがあります。
「MADE IN 富山です。」
私は胸を張ってお客様に話しています。
私は融通のきかない頑固な人間です。
当社の組子製品はそんな富山の職人が作っています。