タニハタブログ Blog

組子らんまを作る会社<タニハタ>の日々の出来事、その思いをブログで綴ります。

人が作り出した言葉に思いを馳せる・・ その大切さ。

お客様からお問い合わせをいただきました。

<小説家・泉鏡花が書いた『深川浅景』の中に
『竹の木戸があったり、河一格子(こういちごうし)が見えたり、半開きの明窓が葉末をのぞいて、』の件があります。河一格子とは何のようなデザインの格子を言うのでしょうか?

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河一格子・・・私も初めて聞いた格子です。

日曜日でしたが、何か気になって会社の中にあるいろいろな古い建具の書物を見てみました。

答えはどこにでていませんでした・・。

頭の中でイメージしてみました。

直感的に・・・

<河一>

真っ直ぐな縦桟で組まれた格子戸=千本格子戸
とおもった次第です。

「河」ではなくこちらの→「川」という文字に「一」の文字を重ねると・・・
千本格子戸の意匠・・・

昔の気概のある小説家なら言葉を作り出すくらいの遊び心はあったはず・・

想像(創造)力を試されます。

ちなみに富山では千本格子のことを(さまのこ)といいます。

千本格子戸は地方により言い回しが違うようです。

(河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指します。「河」は力づよい真っ直ぐなイメージが当時あり、明治時代、まだ西洋文明よりも中国文明の影響を大きく受けていたはず・・。)

そんなことをあれこれ推測しながら、

正しい答えではないかもしれませんがすぐ様私なりの返答させていただきました。

お客様からお礼の言葉とともに下記のコメントをいただきました。

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専門家の方の直感的なイメージが最も近い筈ですので、新たな発見が無い限り、『河一格子=千本格子=さまのこ』と記憶する事に致します。

千本格子、インターネットで検索し、映像を見て、脳裏に焼き付けました。
余談になりますが、泉鏡花は、樋口一葉の1ツ年下、同世代で、谷端様のお隣り石川県金沢市生まれですが、17の時、上京して、尾崎紅葉の玄関番をしながら、物書きの修行をしたそうです。

明治時代、上京先で見て聞いた物か、若しくは、江戸時代の古書を読んで知ったものの、既に、明治時代では使われなくなっていた”江戸っ子の粋な言い回し”か、又は”遊郭言葉”として当時まだ残って居たのだろうかなどと思いは馳せます。

改めて、ご親切に感謝致します、先ずは御礼迄。

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お客様から上記のコメントをいただいた時に
「何て日本語って素晴らしいのだろう。」
と思いました。

たった一つの言葉の中から人の心情を察することができるなんて。

そして、それをイメージできる人が日本にいることに小さな感動をおぼえました。

明治時代、今のように簡単には北陸から東京には行けない時代です。

それを17才の青年が玄関番をしながら厳しい物書きの修行をしたときの心情を考えるだけで、
その言葉が生まれた土壌を考えるだけで、一気にその場所へタイムスリップ。

<思いを馳せる。>

カタカナ・横文字全盛の時代ですが、日本語がもつ深さ、素晴らしさ、優しさに触れた気がしました。

そして、組子や建具にも使われているたくさんの昔ながらの言葉・・・

紗綾形、井筒、香図、七宝、玄翁などたくさんの味わいのある言葉を見返した次第です。

血が通った言葉に思いを馳せる

気付かせてくれたお客様に感謝です。